Tree of Life Workshop Using a Tree of Life metaphor to discover strengths and cultural values with Jenny Snowdon This […]
Tag: narrative therapy
ワークショップ「教育における主体性と対話性、そして支援を考える」
すべての学校関係者のための海外教育研修(ニュージーランド) 「教育における主体性と対話性、そして支援を考える」 ※本ワークショップは、これまで「異国で考える学校における子どもの支え方」として開催していたものです。 ワークショップのパンフレット(PDF版)のダウンロードはこちらから 「主体的・対話的で深い学び」は提供されうるのか? 「アクティヴ・ラーニング」を実現するために必要なものとは? 子どもを支援するとはどういうことか? 修復的対話の実際はどのようなものか? NZの常識から見えてくる日本の学校の姿とは? 2019年8月 8月5日(月)〜9日(金)の5日間のワークショップ ニュージーランド北島・ハミルトン市 実際の授業日に学校を見学 子どもたちに歓迎されてマオリ文化に触れる 英語専門家による通訳付き ナラティヴ・セラピストのファシリテーションで対話を通じての深い学びを自ら実感する […]
ナラティヴ・セラピー・ワークショップ 2019
ナラティヴ・セラピー発祥の地 ニュージーランドで感じ、学ぶ ナラティヴ・セラピー・ワークショップ 2019 通訳および日本語での解説付き! ワークショップのパンフレット(PDF版)のダウンロードはこちらから 場所: ニュージーランド(北島)ハミルトン市 期間: 2019年4月28日(日)から5月3日(金)(5日間のワークショップ) 費用: ワークショップ参加費+空港/ハミルトン間のシャトルバス代金 $2,000ニュージーランドドル(ニュージーランドの消費税15%が含まれます) * 渡航費用、宿泊費、および食費は含まれません。 * 希望者には宿泊場所を手配いたします。またご自身で手配するための要領については、本資料の「宿泊手配について」をご覧ください。 募集人数: […]
無料カウンセリング提供のお知らせ(2019年3月まで)
〇ハミルトンでのカウンセリング提供のお知らせ 初めまして。私は横山克貴といいます。 私は心理に関わる実践・研究をしているもので、現在ニュージーランド・ハミルトンに滞在しています。この度は、もし希望の方がいれば、カウンセリングの場を提供することはできないかと考え、縁あってこのような告知をさせていただきました。 ・私が何者かについて 私は、日本の関東圏で生まれ育ちました。性別は男で、年はそろそろ30に手が届きそうといったところです。高校・大学と進学した後、そのまま心理学の勉強を続け、現在は日本の東京大学大学院 教育学研究科の博士課程という所に所属し、特に「臨床心理学」と呼ばれるものについて学んでいます。これは、いわゆるカウンセリングなどの心理援助の実践に関する学問で、そうした心理的な援助実践の仕方を学び、それを研究するということを行ってきました。また、日本では「臨床心理士」という資格を取得し、所属大学に附属している心理教育相談室という、心理的な相談活動を行う場所でカウンセリング実践を数年間行ってきました。 そして、今年の4月からは、ニュージーランドでカウンセリングを学ぶために、このハミルトンに一時的に滞在しています。 ・今回のカウンセリング相談について 私は、カウンセリング、つまり、人の悩み事や相談事を聞き、そのことについて一緒に考えていく実践を学び、また研究を行っています。そして、そのカウンセリングの実践や研究に、日本を離れている今も、何らかの形で携わっていきたいと、今回このような活動を行うことを考えました。 もしこの機会に話をしてみたいという方がいれば、これまでの学び・経験から、何か一緒に話し・考えることができるのではないかという思いがあります。また、私自身が、そうした実践に携わることを通して、カウンセリングについてより深く学び、研究する活動を続けていきたいという思いもあります。 ・カウンセリングの形式について 今回のカウンセリングでは、私自身の学びや研究のために、面接の様子の録音・録画などについて、ご協力をお願いさせていただくことを考えています。これは、より良いカウンセリングを提供できるようになるための私自身の振り返りのために利用させていただきたいという思いと、何かカウンセリングについての研究を進めることができるのではないかという考えがあるためです。 ただし、実際に面接の録音・録画をするかは、ご相談に来た方が選ぶことができます。また、一度承諾した後で「やっぱり…」と撤回することも可能です。その際は、その時点でデータを破棄することができます。もちろんご協力いただければありがたいですが、相談される方が安心してカウンセリングに臨めることが第一だと考えています。 ・さいごに 何か話をしてみたいということがあったとき、しばしば現実の人間関係の中では、話しづらいということもあると思います。そんなとき、カウンセリングというのは、とることのできる選択肢の一つなのではないかなと思います。個人的には、まず来られた方が安心して話をできることが大事だと思っています。そして、今何が起きているのか、それは自分にとってどういうことなのか、何か好ましい方向に向かう見方や考えはないだろうか、いった気付きや可能性を会話を通して探索していければと思っています。 […]
「エルマリー&ポール基金」レポート(西村有美香)
ニュージーランドで感じ、学ぶナラティヴ・セラピーワークショップ2018 「エルマリー&ポール基金」レポート 「講師陣の言ってることは“同じ”だし、Kouさんのやってることは“普通”」 西村有美香 NZ最終日、自主勉強会でのこと。私はKouさんのロールプレイを見た後「普通過ぎてなんとも思わない」といい、周りの人を驚かせた。と同時にみなさんがとても興味を示してくれて質問責めにあい(笑)、“普通”をうまく言語化できないもどかしさを覚えた。そのため、ここではこの“普通”という感覚について考えていきたい。 この“普通”を考えるにあたって、私が辿ってきた道を簡単に振り返かえるところからはじめたい。私は元々、人間の“考え”に興味があった。どうやって人の“考え”は出来上がるんだろう?を学びたくて心理学部に入り、どうやら人との関係性とか社会・文化とかが影響しているみたいだと発見した。その発見をもとに、システムズ・アプローチやナラティヴ・セラピーを学びに大学院へ入学した。 入学先にいた指導教員は自分の知識を惜しみなく提供してくれた。しかし、当時はナラティヴ・セラピーよりもシステムズ・アプローチに興味があったため、ナラティヴ・セラピーは話に聞く程度だった。様々な知識の波に溺れながら過ごしていたM2の秋、指導教員からこのワークショップの話を聞いた。「NZ楽しいよ。ワイカト大学にはラグビー場があってね…」なんて思い出話を聞きつつ「じゃあラグビー場とキウイを見に行くか」くらいの安易な思いでNZに行くことを決意した。 奨学生として参加した初日、まずエルマリーのロールプレイを見る機会があった。そのロールプレイを見たとたん、私の断片的な知識が一気につながり「ナラティヴ・セラピーってこうやるんだ!」と雲が開けたような感覚を持った。その状態で5日間のプログラムを受け、ナラティヴへの理解が深まると同時に沢山の疑問も出てきた。例えば、“問題が問題である”“外在化する会話”を“理解”出来ると「Th.がCl.に与える影響についてはどのように説明してくれるんだろう…」と思い質問。すると“脱中心化”“影響相対化質問法(の論文)”等という言葉をもらったり、あるいは「どうして“招き入れる”にこだわるんだろう」「どうしてフーコーがこんなにも面白く感じるんだろう」「ディスコースが目に見える可能性についてもっと聞きたいな」etc…。ありとあらゆる「どうして?」が出現して混乱状態になり…でもブレイクタイムでお茶とお菓子を食べながら世間話をしているとちょっとそれが収まって…また講義を聞くと分からなくなり…そんなことの繰り返しだった。そうやって過ごした日々を5日目の終わりに振り返ってみると「コンテンツは違えど結局“同じ”こと言ってたんだな」と感じた。 そして最終日、Kouさんのロールプレイをみて“普通”…と同時に“大学院2年間の総集編みたいだな”とも思った。“総集編”を念頭に院生時代を振り返ってみると、指導教員はいつでも「Cl.さんに教えてもらうんだよ」「Cl.さんに悪いところはない」「Cl.さんのがんばっている所を見つける」と言っていた。私が「この人が悪い!」「このひとは〇〇という人なんだ」と言っているとすかさず「こういう事情があるのかも」「△△できる能力があるんだね」と言ってきた。(それこそ「(怪訝そうに)え~?なんでそんな風に考えるんですか?」等言っても理由を全て教えてくれた。)また、セラピーが上手くいってない原因はTh.にあると言われ“でもどうしろっていうの…”と悩んでいた時、Cl.にもTh.にも原因を求めずにアドバイスをくれ「それならCl.さんと一緒に出来そうだ」と思えたのを覚えている。 以上の指導教員の発言はすべてナラティヴを教えるという文脈ではない。それこそシステムだったりSFAだったり様々であった。ナラティヴを中心に勉強したわけではないのにナラティヴのワークショップを受けて“総集編”と思ったのは、これらの発言全てがナラティヴの姿勢とリンクしているからだと思う。技法云々以前に、そのような姿勢を学んで少々ながらも実践してきたためにKouさんのロールプレイを“普通”と思ったし、講師陣の話も“同じ”だと感じたのだろう。そしてこの姿勢を体感することこそ、わざわざNZでワークショップを受ける意義なのかもしれないと他の参加者の感想を聞いていて思った。 この“普通”という感覚は、年の近い心理士にも驚かれた。もしかしたら、心理士として初期の段階でこの感覚を持つ人はまだとても少ないのかもしれない。今このような感覚を持ったことが今後どのように影響するかはわからない。ナラティヴ以外にも勉強したいし、ナラティヴを懐疑的に検証していきたい気持ちもある。どのような化学反応が起こるのか自分自身も楽しみにしながら、今後も自己研鑽していきたいと思う。 (今回、2年間学んできたことがわずか1週間で“実感を伴った理解”になり、同時に新しいことも得られて、全体的にナラティヴに対する理解が促進されたような感じがした。何故1週間でそこまでの変化があったのか…ワークショップ事体の要因はまた今度気が向いたら考えることにします。)
「エルマリー&ポール基金」レポート(広津侑実子)
ニュージーランドで感じ、学ぶナラティヴ・セラピーワークショップ2018 「エルマリー&ポール基金」レポート 広津侑実子 はじめに 臨床ってやっぱり楽しいなあ。早く日本の現場に戻って臨床やりたいなあ。 「ニュージーランドで感じ、学ぶナラティヴ・セラピーワークショップ2018」の最終日に、このような気持ちが自然にわいてきた。座学の研修を受けてこんなことを感じることはそうそうないので、嬉しい半面不思議でもあった。しかし、今振り返ると、これはワークショップでの様々な経験や学びから必然的に産まれたものとも思われる。 このレポートでは、今回のワークショップでの経験や学びがどのようなものであったのかについて、特に印象的だったあるエピソードを通じて考えていきたい。 心が動かされる(ある出来事の考察) ワークショップ初日に、私は大きく心をゆさぶられた。今でも鮮やかに覚えている。心が動くだけではなく、身体的にもゆれが起きた。それは、理論的なレクチャーの後に行なわれた、カウンセリングのロールプレイの場面である。講師がカウンセラー役となり、ある受講生のちょっとした悩みを相談するセッションを皆で見守った。私は幸いなことにアウトサイダー・ウィットネスとして他の受講生たちよりも二人(正確には通訳者も含めて三人)に近い位置でお話しを伺わせてもらった。その受講生が持ってきたテーマは現在の親密な人間関係に関するものであったが、セッションが進んでいくうちに、やがて彼と周囲の人とのより広い関係性や歴史にも話が広がっていった。講師が心に浮かんだ言葉を受講生に投げかけると、受講生の心に言葉がしみこみ、またそこから波紋が広がるように、受講生の思いや言葉が深まっていく感じがあった。あたかも、現在の問題はただ独立してあるのではなく、過去の出来事が幾層にも重なっている上に存在しているようにも感じられた。 こんな場に触れて、私はただ一緒にいるだけだったのに、なぜか自然と涙がこぼれてきた。アウトサイダーウィットネスとして冷静にならねばと必死に姿勢を正しても、涙は勝手にあふれてきた。私自身、どちらかというと泣き虫な方ではあるのだが、これまで目の前で(模擬的であったとしても)ケースが進んでいる時に泣くということなどなかった。また、本来ならセッションの後に、カウンセラーやアウトサイダーウィットネスからのコメントがあるはずだが、涙目の講師が少し考えた後で、今回はクライエントが重要な人に自分の言語でお手紙を書くという行為をするだけでこの日は締められた。私もセッションの後に、大事な時間に居させてくれてありがとう、という感想にもならない言葉をなんとか絞り出せただけであった。 心が強く動かされた時間だったのは事実だが、では、ただセッションを聞いただけなのにこんなにも涙が出たのはなぜだったのだろう。簡潔に言えば、おそらく、受講生が自身の人生に触れて心を開いて正直に話そうとしてくれたから、カウンセラーの講師がこの受講生の話を正面からまっすぐに聞き、彼の話のなかにでてくる大事な人々の人生に対しても丁寧に向き合おうとしているから、通訳者が言葉や雰囲気を一つももらさずに皆に媒介して伝えてくれたから、そして、他の受講生も全員が心をこめてこのセッションに同席しようとしたからこそではないかと思われる。そのようにこの場にいる全員が、自分も相手も大事にして、一歩も逃げずにまっすぐにかかわろうとする姿のすさまじさに共鳴して(あるいは圧倒されて)、涙が出てきたのではないかと考えている。また、ナラティヴ・セラピーの手続きを形式的に踏むのではなく、講師が受講生の大事な思いをお手紙という形でまとめさせてくれたこと、アウトサイダーウィットネスの受講生にその場での気持ちをじんわりとかみしめさせて無理に表出させなかったことなど、セッションのなかのちょっとした工夫や気遣いの全てがそれぞれに敬意を払っているようにも思われる。 このような体験から、ナラティヴ・セラピーの多様な技法の背景には、人をきちんと大事にしていく姿勢があるのだと気づいた。このセラピーの特徴の記述の一つに、「人が問題なのではない、問題が問題なのだ」というくだりがある。問題を抱えた人自身に焦点を当てるのではなく、問題そのものを外在化してクライエントとセラピストが取り組んでいくという、中核的な考え方である。しかし、このエピソードを通じて私が気づいたのは、問題を外側に出した時、その反対側には常に“人”がいるということである。問題に取り組み続けてきた人、問題に向き合おうと挑戦してきた人、そんな人に対して敬意を払い、尊重するということが根本にずっしりと横たわっているのではないか。「問題が問題であり、人が人なのだ(問題とは切り離して、人そのものとして尊重される)」という、対人援助職にとっては当たり前すぎることの力に改めて気づかされた。それと同時に、当然過ぎるがゆえに普段はその価値がぼやけてしまっていることに再度向き合わせようとすることがこのセラピーとワークショップの肝であったように自分では感じている。 考えが自分にやってくる(考察していくプロセスについての考察) このような気づきはどのように産まれてきたのだろうか。次に、この出来事にまつわるプロセスから考えてみることにしたい。 ワークショップ初日から大粒の涙を流してしまった自分は、その日の夜から一人で何度も何度もこの出来事の意味を考えた。歩いたり買い物をしている時にふと思いついたことを紙に書きとめたり、パソコンに向き合って数時間かけて文章を書いてみたりもした。他の人に話を聞いてもらったり、単に私が他の人の語りを伺ったりする中で、じんわりとヒントがやってきたこともあった。また、帰国便の長いフライト中にもこの経験について向き合い、ようやく言葉になったこともあった。(もちろん、そんなことをしている時にも、何度も涙があふれてきたのだが)このようにたった一つのトピックについて、色々な角度から何度も何度も向き合う機会を作ったことで、ひとまず自分なりの答えが出てきたように思われる。自分のペースを大事にし、時間をかけることの大切さを感じた。 また、自分の思いにオープンであるということは、私にとっては少しハードルが高い事柄でもある。特に泣くというネガティヴな行為には、蓋をして触れないようにしたり、あえて笑ってごまかしたりしてしまうことがある。しかし、この場では、同じように涙を流した講師が私にそっとティッシュを手渡してくれたり、振り返りの時間で泣いてしまったことを照れ隠しのように謝った時に、他の受講生が、ううん、私も涙が出てきたんだよ、と声を掛けてくれたりした。このような他の人のちょっとした気遣いや率直なかかわりが、自分の思考やあり方を支えてくれたと思われる。 […]
ワークショップ 「異国(ニュージーランド)で考える 学校における子どもの支え方」2018
ワークショップ 「異国(ニュージーランド)で考える学校における子どもの支え方」2018 〈通訳および日本語でのディスカッション!〉 〈ワークショップのパンフレット(PDF)の ダウンロードはこちらからNZ School August 2018!〉 ニュージーランドの学校を訪問し、地元の支援職からの話を聞くことによって、日本の学校や子どもたちを取り巻く環境を外から眺め、子どもたちを支える方法を一緒に再考してみませんか? 【本ワークショップの特長】 ニュージーランドは南半球にあるため、日本の夏休みの期間でも、授業が行われています。北半球の学校は夏休みに入っているため、日本の夏休みに訪問しても生徒が学校にいません。 実際の学校を訪問し、学校の様子を肌身で感じることができます。 実際に学校に関わってきた人びとを招いての講話。 書籍で紹介されている学校現場の見学「いじめ・暴力に向き合う学校づくり」。 英語および日本語教育、そして翻訳を専門としている通訳者(わかりやすいです)。 見聞きしたことを振り返り、深め、そして将来を考えていくための、日本語でのディスカッション。 […]
マイケル・ウィリアムズ講演会
マイケル・ウィリアムズ講演会 いじめ・対立を修復するスクールカウンセリング いじめの加害者を含む6人の生徒たちが、いじめ解決に暗躍する―― クラスの関係を修復し、いじめをなくすために、ニュージーランドやアメリカで実際に使われている方法です。 “教室を安心できる学び場に変えるには、どうしたら良いのだろうか” 教師に導かれながら、生徒たちはその方法を一緒になって考えます。 他者との新しい関係の持ち方を学ぶことで、対立とは異なる物語が教室に流れはじめます。何が行われているのか、何が起こっているのか、もっと知りたいと思いませんか? 講演では、ナラティヴ・セラピーに基づく考え方と、教育現場への応用についても取り上げたいと思います。 ※本講演は全て通訳(バーナード紫)がつきます。 日時:2018年1月21日(日)13:00~17:00(12:30開場/受付開始) 会場:東京家政大学板橋キャンパス三木ホール (JR十条駅より徒歩10分/都営三田線新板橋駅より徒歩15分) 参加費:無料(定員200名) 申込方法:下記のページにて、必要事項をご記入の上、お申し込みください。定員に達し次第、申し込みは締め切らせていただきます。申し込み後にキャンセルされる方は下記の「備考」欄よりお知らせください。 URL: https://goo.gl/forms/Oi257NtDRj7gUjoy1 マイケル・ウィリアムズ略歴: 現在、ニュージーランドエッジウォーターカレッジ学生支援カウンセリング長。修士(教育学)。秘密いじめ対策隊をはじめとするいじめへの取り組みにより、ニュージーランド・ヘラルド紙が選ぶ2012年年間最優秀ニュージーランド人にノミネートされた。カリフォルニア州立大学サンバナディーノ校のジョン・ウィンズレイド博士との共著 “Safe and […]
ナラティヴ・セラピー・ワークショップ 2018
ナラティヴ・セラピー発祥の地 ニュージーランドで感じ、学ぶ ナラティヴ・セラピー・ワークショップ 2018 通訳および日本語での解説付き! ワークショップのパンフレット(PDF版)のダウンロードはこちらから 場所: ニュージーランド(北島)ハミルトン市 期間: 2018年4月29日(日)から5月4日(金)(5日間のワークショップ) 費用: ワークショップ参加費+空港/ハミルトン間のシャトルバス代金 $2,000ニュージーランドドル(ニュージーランドの消費税15%が含まれます) * 渡航費用、宿泊費、および食費は含まれません。 * 希望者には宿泊場所を手配いたします。またご自身で手配するための要領については、本資料の「宿泊手配について」をご覧ください。 募集人数: […]
ワークショップ「ニュージーランド・異国で考える学校における子ども支え方」を終えて
ワークショップ「ニュージーランド・異国で考える学校における子ども支え方」とは このワークショップは、ニュージーランドに来て、ニュージーランドの小学校と高校を訪問したり、実際に子どもに関わっている職業人を招いてその実践について語ってもらうというものです。 本ワークショップの特徴は次の通りです。 ニュージーランドは南半球にあるため、日本の夏休みの期間でも、授業が行われています。北半球の学校は夏休みに入っているため、日本の夏休みに訪問しても生徒が学校にいません。 実際の学校を訪問し、学校の様子を肌身で感じることができます。 実際に学校に関わってきた人びとを招いての講話。 書籍で紹介されている学校現場の見学「いじめ・暴力に向き合う学校づくり」。 英語および日本語教育、そして翻訳を専門としている通訳者(わかりやすいです)。 見聞きしたことを振り返り、深め、そして将来を考えていくための、日本語でのディスカッション。 そして、このワークショップを支えるコンセプトは次の言葉に代表されるのではないかと思います。 「私が勧めたいのは、異なった社会の異なった慣習の輸入ではなく、異なった社会の光に照らして、私たち自身の社会で生まれつつある慣習について考えるということです」 「レヴィ=ストロース講義」 2005年 136頁 このワークショップは今回が初めてでした。そのため、いろいろと振り返ることがありましたので、参加者のフィードバックも参考にしながら、文字にしてみたいと思います。 実際の学校を見学すること 「学校の見学が大変に記憶に残っています。そこで働く人たちや、生徒たち、さらに全体の雰囲気を感じられたことが大きかったです。このおかげで、日本に帰ってからも、自分が良いなと思ったことを、あまり既存のセオリーや規範にとらわれずに実践していきたいと考えられるようになりました。こう感じられたのは、実際に機能している現場を見られたことが一番大きいと思います。」 「そこで生活する人々の様子に直接触れることはとても意味があったと思います。個々の取り組みがどのような文化的背景のなかで成立しているのかということを、実体験を通じて少しでも感じ取ることができました。」 学校という箱物を見ることによって、学校そのものを見ることにはつながりません。はやり実際に機能している現場を見る必要があるのです。そのためにも、実際に授業がおこなわれ、先生が生徒とどのように関わっているのかということ、生徒がどのようなあり方でそこにいるのかと言うことを見ることは大きな意味があることが確認できたと思いました。 […]